昨日のライブと自分の話
ブログではツイッターに書きにくいことや、主催者目線での想い、よりKENGOとしての考えを書くので、
僕個人を応援してくれてる方や、KENGOfamilyのみんな向けの記事になります。
まず昨日 最後まで僕のライブを見届けてくれた人達。本当にありがとう。
あれから ずっと自分の中が空っぽな感覚で、考えてました。
自分の待ち時間で出来た昨日の精一杯のライブでした。
自分の人間としての未熟さが身にしみた時間でした。
僕が20歳になるまで母が生きていてくれたこと、義父がいてくれたこと。
そして大好きな3人家族が もう元には戻らない形に変わってしまったこと。
ひとりきりのように感じることが本当に寂しくて、笑顔の裏に隠して生きてきました。それでも幸せだと心から思える、見えない幸せを見つけることが小さい頃からの僕の特技でした。
沢山の人に力を借りて、ここまで僕は生きてくることが出来ました。今もそう。
"祈り"という曲は自分の過去なしには歌えない曲。
2011年の6月のことです
母が亡くなった日は 雨が降ってました。
それまでの日々が僕の悔しさの塊
数日前 ベッドに横たわるお母さんが 泣き出した時
僕は腫れ上がった体をさすることしか出来ず
窓の外の夕陽に目をそらすことしか出来ませんでした。
人が諦めた瞬間を目の当たりにした日
今まで見た中で1番 悲しい夕陽でした。
何も言えなかった自分を1番 憎んだ日。
仕事中に病院から電話があり、もう危ないということを告げられ、向かいました。
その時には落ち着いていたものの、
次 もしなにかあったときに延命処置をするかしないかという選択を迫られ、
僕は しない という選択をしました。
自分一人で決めるには重すぎた選択でした、その日 帰りのタクシーの中 涙が止まらなかった。
それから真夜中 僕は歌を歌ってました。練習をしていました。
どうしようもない気持ちを少しでも晴らしたくて歌ってました。
その時に決めたんです。
自分が嫌になっても、出来なくなっても
歌いつづけようと、それが僕の今でも変わらない生きる目的です。
数時間後に母は急変し、亡くなりました。
ほんの少し 間に合わなかったです。
その日は流されるがままに
病院を後にし、お通夜の手配をし
義父に会いに刑務所に行きました。
面会時間が本当に苦痛でした、
特別に葬式に出られる訳もなく
義父はただ中から嘆き涙するしかなかったんです。
自分がもっとちゃんとした人間だったら、良い子だったら
こんなことにはそもそもなってなかったと、違う未来がきっとあった。
家族もいない。親戚もいない。
ただひとりでの お通夜とお葬式。
たったひとりでも
母を想って見送ることが出来たのは
そこに来れなかった義父を想うと
今思えば幸せなことでした。
それまでの僕たちの過去が、
刻んできた歴史が
その日を創り上げたんです。
間違いだらけな日々の先で
僕たちはこんな風に家族としての終わりを迎えました。
でも 幸せなことも沢山あったから
大好きだから変わって欲しくなくて
どうにか家族を いい方向に持っていけないか
子供ながら考えた時もありました、
僕にはどうしようも出来なかった。
そんな経験や想いが僕の曲には込められています。
歌える今が幸せです。
サポートしてくれてる人たちがいることが何よりの支えです。
昨日は 何年も閉じ込めてきた自分の心をライブ前に開けてみようと試みました。
冷静に話せると思ったんですが、いざステージに上がって 開いてみると 僕には手に負えないものでした。
話すことも決めてなかったので、何を話したかもあまり覚えてません。
自分自身の闇と向き合い、素直な言葉だったのは確かです。
涙と鼻水でまともに歌えず
ステージに立つものとして、歌うときはちゃんと歌いたかった。
長く応援してくれてる人の前でもあんな姿を見せるのは初めてで 応援してくれてるからこそ 重い気持ちにさせてしまったら 本当にごめんなさい。
祈りの他にも
ONE LIFEやRemember The Perfect
Camomilleは自分のことを綴った曲になってます。
同じような境遇の人たちや、苦しんでる人たちに曲を聴いてもらえるように
そして 勿論、
元気と笑顔も 与えられるKENGOになれるよう頑張っていきます。
2月18日のライブへの意気込みも昨日で凄く変わりました。
頑張ります!
楽しみにしてて下さい😊
5コメント
2018.01.17 08:20
2018.01.16 16:18
2018.01.16 16:07